ほしふじクリエイティブについて

ほしふじクリエイティブとは

ほしふじクリエイティブは、フリーランスのWebクリエイター本宮美香の屋号です。
もともと登山が大好きで、山を登りながら眺める富士山が大好き、山小屋に泊まって、星空を眺めるのが大好きなので、「ほしふじ」と命名しました。

ヒュッテほしふじとは

アルプスの山小屋のような、暖かで居心地の良い環境で、リラックスしながら仕事がしたいと思い、ほしふじクリエイティブのホームページのタイトルは「ヒュッテほしふじ」にしました。ヒュッテとは、ドイツ語で山小屋のことです。

三方良しの制作

これまで20余年にわたり、デザイン制作会社において、たくさんのホームページと取扱説明書を作成してきました。
その経験から、私が最も大切にしているのは、
『自分が何を言いたいか、ではなく、お客様が何を知りたいか』
を考えて、お客様の立場になって、制作するということです。
このお客様とは、ホームページのオーナー様ではなく、ホームページを見る不特定多数のお客様のことです。
取扱説明書のメーカー様ではなく、エンドユーザー様のことです。
どんな人が、そのサービスを必要としているのか、その人達はどんな情報が欲しいのか、何がわからなくて、何を知りたいのかを考え、ターゲットを絞り込み、ニーズに合った情報を掲載、発信します。
また、ターゲットユーザーが好むデザインや、使い勝手の良いレイアウト、わかりやすい文章にすることも重要です。
ほしふじクリエイティブでは、オーナー様にしっかりとヒヤリングをした上で、十分なマーケティングリサーチを行ってから、企画に入ります。
オーナー様にとって利益があり、ユーザー様にとっても有益で喜ばれ、かつ、それにより周りの人たちにも良い影響が拡がっていくような、三方良しの制作を指針として、ホームページや取扱説明書の企画、制作を行ってまいります。

ほしふじクリエイティブの概要

屋号 ほしふじクリエイティブ
代表 本宮美香
事務所 神奈川県大和市西鶴間2-26-4-413
TEL・FAX 046-408-2508
設立 2018年4月1日
事業内容
  • ホームページ制作[実績
  • テクニカルライティング(マニュアル制作)[実績
  • DTP
  • 動画編集
  • パソコン、スマホ、SNSなどの教室開催、および個人指導

本宮美香 略歴

1972年千葉県千葉市生まれ。千葉市立稲毛高等学校卒。東京理科大学理学部物理学科卒。
大学在学中から、科学技術館に勤務し、パソコン教室の運営、インストラクターを行いました。
その後、独学でHTMLを学び、Web業界に転職。
20余年にわたり、デザイン制作会社でホームページの制作を行いました。
同時に、パソコンや複合機のマニュアル制作、パンフレットやカタログの制作も行いました。
2017年9月、病気療養のため退職。
2018年4月、フリーランスのWebクリエイターとして、ほしふじクリエイティブを立ち上げました。
ボランティアで話し方教室の講師をしています。

これまでの道のり
パソコン 〜 Web 〜 山 〜 体の話

子供の頃から宇宙のことを考えるのが大好きで、宇宙飛行士に憧れていました。
宇宙物理学を学ぶために、東京理科大学に進学。大学でコンピューターに触れ、BASICやFORTRANなどのプログラム言語を学びました。
当時は、コンピューターと言えば、黒い画面に白い文字。コマンドをタイプして、命令を実行するのが一般的でした。
大学の学生課の紹介で、科学技術館のパソコン展示室のアルバイトをすることになりました。
行ってみると、そこには、最先端のパソコンの数々が鎮座していました。Macintosh、DOS/V、UNIX、FM-TOWNS、PC-98、CAD専用機など。
私は、Macintoshを見て一目で恋に落ちました。白くて滑らかな箱の中に入っているOSは、GUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)でかわいいアイコンが並んでいました。マウスを動かすとポインタが動いて、ボタン一つでファイルを開いたり、絵を描くこともできました。
これからは、パソコンだ!Macintoshだ!そう確信しました。

科学技術館のアルバイトは、来館者にパソコンの操作を説明するだけでなく、パソコン教室のインストラクターも行いました。
大学卒業後、誘われるままにパソコン教室の運営会社に就職し、科学技術館の仕事を続けました。
数年後、インターネットが世界的に普及しはじめ、大企業や団体がホームページを持つようになり、その波は中小企業、個人へと。ホームページの数も徐々に増えていきました。
千里眼(早稲田大学が開発した日本初の検索エンジン)で検索すれば、いろいろな情報を得ることができました。
これからは、インターネットだ!ホームページだ!と確信した私は、独学でHTMLを学びました。
試しに自分のホームページを作るといっても、何も発信したいことが無かったので、近所のお気に入りのお店を取材して、許可をもらって無料でホームページを作り、小規模な町紹介のサイトを立ち上げました。
その作品を手に、デザイン制作会社に売り込みに行き、Web業界に転職しました。

それからは、さまざまな企業のホームページを制作しました。はじめは制作だけでしたが、徐々に取材や打ち合わせなど客先に行くことが増え、のちにはディレクターとして顧客を担当し、企画やプレゼンなどもするようになりました。
しかし、その頃の私は極度のあがり症で、人前に立つと目の前が真っ白になり、手足が震え、声も震えて、とてもプレゼンどころではありませんでした。
そこで話し方教室に通いはじめました。人前に立って話す練習、話をわかりやすくまとめる技術、人間関係を良くするコミュニケーション法などを学びました。5年後には、人前で話すのが大好きになり、プレゼンが大得意になりました。さらには、パソコン教室の講師の資格も修得しました。(現在もフィリア話し方教室の講師を続けています。)

30歳になったころ、登山が趣味の上司に「今度わたしも連れてってくださいよ!」と軽い気持ちで言ったところ連れて行かれたのが、陣馬山から高尾山への縦走コースでした。
このコースは全長18.5km、陣馬山〜明王峠〜景信山〜小仏峠〜城山〜一丁平〜高尾山と7つものピークがあり、アップダウンが続く、初心者にはかなりきついコースです。
高校の体育の授業以来12年間、ほとんど運動をしていなかった私。
それまで経験したことのない、脚の痛みと疲労、喉の渇きに耐え、ヨレヨレになって、なんとかゴールの高尾山口駅まで辿り着きました。
とても苦しい思いをしたのに、私が感じたのは大きな達成感でした。おしゃべりしながら、自然の中を歩く楽しさ。山頂の茶屋で食べる山グルメの美味しいこと。そして何と言っても、山頂から見渡す景色は、自分の脚でがんばって登った者にしか見られない、最高のご褒美。
それ以来、登山の魅力に取り憑かれ、いろいろな山に登りました。

2011年夏、燕〜大天井〜槍の表銀座コースの途中で激しく足がつり、動けなくなってしまいました。その頃の私は、登山中によく脚がつっていました。その後、原因がプランマー病であることがわかりました。甲状腺ホルモンが大量に出て、そのホルモンを体全体に送るために、心臓が酷使され、いつ心臓が止まってもおかしくないという危険な状態でした。日本一の甲状腺治療の権威と言われる伊藤病院は、手術まで7ヶ月待ちでした。

病気が見つかる前から、私はエベレスト街道の旅の計画を立てていました。2013年秋、甲状腺ホルモンを薬で抑えつつ、エベレスト街道を旅しました。世界中から登山客が来る人気のルートなのだから、道に迷うことも無いだろうという推測で、ガイドなし、ポーターなしの一人旅。しかも、旅の2週間前に右足を捻挫して、テーピングでガチガチに固定してのトレッキングでした。
エベレスト街道は、現地の人の生活道で、険しいところは一つもありませんでした。いろいろな国の登山者とすれ違い、片言の英語で会話しながら登っていきました。
大きな荷物を背負った我が物顔のヤクを避け、ドゥードゥコシの吊橋を渡り、マントラが描かれた巨石を通り過ぎ、マニ車を回して旅の成功を祈り、子どもたちが担ぐラジカセからエンドレスで流れる轟音のレッサム・ピリリに少々嫌気が差しつつ、憧れの街ナムチェを徘徊し、エベレストを自分の目で見ました。
ネパールって面白い!山を歩くって、なぜこんなに楽しいんだ!!!
あきらめないで行って本当に良かった。だって、その後、もっと大きな病気が見つかり、二度と登山ができなくなってしまったのですから。


中央の雲がかかったピークがエベレスト。最右がアマダブラム。

甲状腺右葉摘出手術のあとも、私は山に登り続けました。
夏の燕山荘で見た、空中を埋め尽くす星々と天の川の輝き。
20kgのザックを担いで縦走した宮之浦岳と、黄金色の朝陽に照らし出された縄文杉。
厳冬期、西穂独標から見上げた真っ白な本峰の鋭い勇姿。
コマクサ満開の燕から大天井までの尾根歩きを、ずっと見守り続けてくれた富士山。
一緒に歩いてくれた仲間たち。
登山は私にたくさんの喜びと感動を与えてくれました。

ここまで書けば『ほしふじ』と命名した理由もお分かりいただけるでしょう。
山の話が長くなりましたが、最後に、私がWeb制作会社を退職して独立した理由を書いておきましょう。

山に登ると、すぐに息が上がって、呼吸が苦しくなって、仲間のペースについていけなくなりました。
日頃の鍛錬が足りないのだと思い、毎日必死にトレーニングしました。
ところが2016年12月、皮膚筋炎(膠原病)と間質性肺炎の合併と診断されました。肺の40%が機能しておらず、常に酸素濃度が低い状態。山に登ったら苦しいのは当たり前でした。入院してステロイド治療をした方がいいと主治医に言われましたが、ステロイドの副作用が怖くて、なかなか治療に踏み切れませんでした。
その半年後には、何をしていても呼吸が苦しく、声を出すと咳が止まらなくなりました。ステロイド治療を受ける決意をしました。
2017年9月に会社を退職し入院。ステロイド治療がはじまりました。
治療の結果、皮膚筋炎も間質性肺炎も、どんどん良くなりました。しかし、再燃が非常に多い病気です。ストレスを避け、疲れない生活をし、十分な睡眠を取る必要があります。感染症予防のため、常にマスク着用。ステロイドの副作用で激太り。ムーンフェイスで顔がパンパンに腫れています。
それでもできる仕事は何だろう?
Web制作やマニュアル制作の技術を活かして、自宅で仕事しよう。
友人のありがたいサポートもあり、ほしふじクリエイティブを立ち上げるに至りました。(チャンドラ・スーリヤのリエちゃん、タマエスティ国際学生会館の大西さん、いつもありがとうございます!!)

これまでの経験・知識・技術をフル活用して、皆様のお役に立てるよう精一杯がんばります。
どうぞよろしくお願いいたします。
ここまで長文をお読みくださり、ありがとうございました。

本宮美香